ビザなし交流3日目。6月30日後編です。
上の写真は芸術学校の駐車場にて。訪問団の移動に強力してくれた住民の車たちです。
戦前の日本家屋
芸術学校のとなりに、戦前からたっていた日本家屋「紗那郵便局」がありました。
…見るからにかなり痛んでますね。
1945年の不法占領によって上陸したロシアの人々は、元々日本人が住んでいた家にあがりこんで生活していました。
1947年の日本人強制送還以後は、残った建物を利用しつつ、もちろん寿命がくれば建替えていきます。
60年以上が経ち、この「紗那郵便局」が択捉島で戦前から残っている唯一の建物になってしまったそうです。
日本側は保存準備委員会を立ち上げ保存運動を行っていますが、現地で今生活している人達からは「危険だから取り壊したい」と言われているそう。
痛々しい紗那郵便局の姿に心を痛め、ホームビジットへ向かいます。
ホームビジット
「ホームビジット」とは、訪問団が3~5名ずつにわかれ、それぞれ受けれてくれる家庭を訪問し、昼食をご馳走になりながら3時間ほど交流を行います。
通訳さんがずっとついていてくれるわけではないので、通訳さん不在の時間、ロシア語で会話ができるのか…(´Д`;)
団員皆不安のイベントですが、実際の現在の択捉島の人と生活を感じることができる大切な企画だと思います。
僕のグループが伺ったのは若い夫婦の家庭。
夫・妻・子供二人・おばあちゃんが我々を迎えてくれました。
子供かわいい!
なにより、ガンプラをもっていたことに小林感激!(笑)
<HGガンダムAGE-2ノーマル>ですよ!最新ガンダム!
…でもこのガンプラはこの家族がビザなし訪問で根室を訪れたときに買ったとか。
日本のアニメが択捉島でみれるわけでなないようです(=゚ω゚=)ナーンダ。
本当に心こもった料理でもてなしてくれます。写真はごく一部。
ここでもペリメニおいしかった!サワークリームをつけて。
旦那さんはロシア正教の司祭さん。択捉島には一人だけなんだそうです。
仕事柄ロシア本国との行き来は多いようで、モスクワの写真での写真などいろいろみせてもらいました。
国後島でもそうでしたが、若い人には英語が分かる人もいて、この家庭でも英語でコミュニケーションでき、助かりました^^;
ええと、僕も一応二胡をもっていってまして、このブログも一応二胡ブログなので、一応あげます…演奏の様子。
結果ははっきり言って「ヤヤウケ」( TДT)。
ガンプラ持った子供を前に蘇州夜曲を選ぶ自分の芸の無さよ…日々是精進ですね。
クランベリーがいっぱい入った手作りパイ!
ほんとうにごちそうさまでした!
住民交流会
芸術学校ホールに戻ってきました。
日本側訪問団が用意した、「着物ショー」「お抹茶試飲」で地元の人とふれあいます。
着物は好評!「私も着たい!」という人多数で、急遽追加試着も。スタッフさんお疲れ様でした。
地元のロシア人が「民族衣装ファッションショー」を見せてくれました。
芸術学校らしいステージでした。
最後はカチャーシーよろしくダンスパーティー!
盛り上がりました!
お買い物
帰りの時間まで紗那の町で買い物です。
町も大きいので、商店の数も多かったですが、僕が入った店はどこも同じような品揃えでした。
差別化も難しいんでしょうね。
国後島からさらに離れている択捉島の店には、いよいよ日本製のものは見られませんでした。
唯一「チューブ入りわさび」がありましたが、日本語とハングル文字の一緒になったもの。
辛ラーメンなど韓国の商品が目立つようになります。
町の様子。
帰船
荒野を爆走し…
はしけに乗って旅客船“えとぴりか”に戻ってきました。
風呂入って、今日は船内で夕食。
“えとぴりか”船内ではすごくおいしい食事がでました。胃腸も落ち着くことができます。
この日のスケジュールは早めに終了したので、夜の食堂にでお歳を召した元島民の方ともいろんなお話をさせてもらいました。
北方四島について身近な感情ももちましたが、占領後60年が経ちロシア化が進んだ現地を見ているので、複雑な気持ちです…。
ビザなし交流3日目終了。明日も択捉島へ!…続く。