北方四島ビザなし交流に参加しました。その1



2012年6月28日から7月2日の期間、
独立行政法人北方領土問題対策協会が運営している「北方四島ビザなし交流」に参加し、国後島と択捉島を訪問しました。

大変貴重な経験をさせてもらってきました。
ここからしばらく、当ブログの主旨から離れますが、ビザなし交流での国後島、択捉島訪問記録をレポートしたいと思います。

初日6月28日、根室市内。
この日は“北海道立 北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)”という施設で事前研修、出航という流れの一日でした。


事前研修の内容・北方領土問題とは


(研修会場ニ・ホ・ロの交流ホール。超逆光!)

研修で学んだことをざーーっとまとめると…

・択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島は歴史的にも国際法的にも日本固有の領土
これまでに一度も日本以外の領土となったことはない。

・北方四島総面積5032平方キロメートル。国後島は沖縄本島よりすこし大きいくらい、択捉島は沖縄本島の2倍以上の面積!

・1945年当時まだ有効だった「日ソ中立条約」をソ連が一方的に破棄して、当時日本領だった千島列島(北方四島より北側)に進攻。その後日本がポツダム宣言を受諾した直後の8月28日から9月5日までの間に北方四島を占領した。

・不法占拠の後、ソ連軍人は北方四島住民の家を区切って住み込むように。最初は言葉も通じず不安な日々の中、自力で監視をかいくぐり島を脱出する人も多数。

・占領から2年後の1947年、ソ連軍は「ソ連国籍を取得して島に残るか、本土送還に応じるか」の選択を島民に迫り、ほぼ全員が強制送還に応じた。

・強制送還は劣悪環境の中行われ、途中で命を落とす人も。樺太を経由し函館へというルート。

・計7回で8569人が強制送還。以後、北方四島に日本人は住んでいない。

・現在ロシア国内法では、北方四島はサハリン州に属し、歯舞群島/色丹島/国後島が「南クリル地区」、択捉島が「クリル地区」ということになっている。旧ソ連の様々な地域からの移住者とその子孫で四島計16,346名(2009年の資料)が在住。(歯舞群島にはロシアの国境警備隊のみ)

・インフラの整備が遅れているが、2006年ロシア政府が承認した「新クリル発展計画」によって新たなインフラ整備が行われている最中。住民の生活も変化している。

・現在北方四島に住んでいるロシア人が、かつての日本人島民と同じような境遇になることを日本政府は望んでいない。「北方四島に対する日本の主権がロシア政府によって確認されるならば、実際の返還の時期、態様および条件については柔軟に対応する」というのが日本政府の立場。

事前研修の内容・ビザなし交流について

1991年、日ソ両国外相間の往復書簡により
領土問題の解決を含む日ソ間の平和条約締結問題が解決されるまでの間、相互理解の増進を図り、もってそのような問題の解決に寄与することを目的として、かつ、いずれの一報の側の法的立場をも害するものとみなしてはならないとの共通理解の下に、我国国民の北方領土への訪問を、旅券・査証なしで行う」ことなどを内容とする枠組みが作られました。

翌1992年より、この枠組みの中で実施されている事業が、今回僕が参加した【北方四島ビザなし交流】です。

北方領土は日本固有の領土。日本にとっての終戦の年・1945年からロシアによって不法占拠されています。
日本であるはずの北方領土に入るのに、ロシアのビザを取得していくことは“ロシアの主権を認めたことになる”ため、《旅券・査証なし》の訪問事業が行われています。
北方四島在住のロシア人の日本受け入れも行われていて、その際もビザなしで行われているようです。福井を訪問されたこともあったようですね。

・北方四島交流事業(ビザなし交流)は1992年度から2010年度の間、日本側からの訪問団は242回9,962名、四島からの受け入れは168回7,336名の実績がある。

・相互に理解を深め、四島返還による北方領土問題解決のための環境作りを行う事が事業の目的。領土交渉の場ではない。

・これまでの交流において、現島民は領土問題に対する日本の立場をよく知るようになった。

・ロシアの法令が適用されることを認めるようなことは日本の立場を損なうことに。訪問中に盗難にあっても地元警察に捜査要請できないし、体調を崩し病院へ移送となることも避けたい。(ウォッカの飲みすぎ注意!と重々念押しされました^^;)

・ロシア語講座もありましたが…団体行動ということで、結局「スパシーバ(ありがとう)」だけで乗り切る腹を決めました┐(´ー`)┌ マイッタネ♪ 。

参加者は?

今回の「2012年度第1回ビザなし訪問団」は全63名。
参加者について資料には「元島民とこれに準じる者、返還運動関係者、専門家、報道関係者及びこれらの同行者」とあります。

“返還運動関係者”は実際には県議会議員、日本青年会議所メンバー、大学教授、研究者、学生など様々な顔を持つ、全国から集まった人たちで構成されていました。
(他に国会議員、通訳、医療関係者が同行。)

そもそも僕がこの事業に参加できたのは、僕が元島民3世だから。
先祖が択捉島の留別(るべつ)というところに住んでいたそうです。
(ビザなし交流などの事業に参加するには、社団法人千島歯舞諸島居住者連盟会員となっていることも必要)
僕は「元島民とこれに準じる者」枠での参加です。

意外だったのは、「元島民とこれに準じる者」が全参加者63名中10名弱だったこと。
少ないな、という印象でしたが、「ビザなし交流」については元島民枠自体があまり多くないそうです。

そのかわり、元島民にとってはビザなし交流の他に、墓参(墓参り)、自由訪問(住んでいた場所を訪問)といった別事業もあるとのこと。
今回参加していた80歳の元島民の方が、笑顔でハードな日程をこなしウォッカをあおり、「来週墓参でまた行くんだー」と言っていたのにはこちらも励まされました。超元気!

研修を終えて…出航!

学のない僕にとって、北方領土問題の詳細についてはとても勉強になり、この問題がいまさらながら重大であることを噛みしめることができました。

自分の祖先が北方領土と関係があることについての意識さえ、とても低かったです。
自分の家のルーツやそれにまつわる歴史さえうまく伝承されていない家庭の問題。
元島民の方の多くが既に亡くなってしまっている現在、問題を次に伝えていくことの大切さからも、今回の参加した事業の意味合いの大きさを実感しました。
また、自分のルーツを強く意識できたことで、研修を終えた段階で既に「参加してよかった~」などと思ってしまいました(笑)。

で、この後移動。最後の買い物タイムをドラッグストアですごし、港へ。

旅客船「えとぴりか」


今回乗った船「えとぴりか」は、「ビザなし交流」「墓参」「自由訪問」など北方四島との交流事業で使われる船として、2012年に就航されたばかり!食事も美味しかった!風呂も立派!

荷物を積み込み出港式を経て、16時半ごろ根室港を出航、国後島へ。

船内はきれいで思っていたより広く、航行も安定していてとても快適でした。
今回の「ビザなし交流」は船内で4泊しました。

(エトピリカって鳥の名前だったんですね~~…^^;)

夜は結構時間がある。すること特になし。
ということで、夕食後には食堂が開放され参加者同士のプチ宴会です!
普段知り合うことのなかなかない様々な経歴の持ち主同士の交流ができ、とても楽しかったです。


海上保安庁の船に随行され、国後へ。

出航3時間後には国後島の古釜布(ふるかまっぷ)湾に到着、湾内停泊のまま船内泊となりました。

こんな感じで初日は終了。
船からは国後島の夜景を眺めることができます。
さて、どんな訪問になるのやら…?続く!!

参考リンク

●wikipedia北方四島交流事業

●独立行政法人 北方領土問題対策協会

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