朝のまどろみ


ちょっとゆっくりTVをみてたら、最近話題の大相撲八百長問題で知識人と現場の人?が大激論。
どんな場合でも真剣勝負でなければ許さないという知識人側。
腐ってしまっている部分は直さなければいけないが、勝負の中における“情”の部分は、人間が行う以上絶対になくならないという関係者っぽい人。
他にもコメンテーターの意見も交錯し、
とにかく人それぞれ、いろいろな「相撲とはこうあるべき」観があるのだな〜とおもった。
これまで、相撲は国技 という暗黙の了解による保護体制によって裏の事情がみてる側に伝わることのないものだった。
それゆえに、本当に幅広い相撲感を許容できてきたんですね。
具体案具体案ていわれてるけど、それぞれが見ている方向がバラバラなので、相撲はこういうものだ!という根幹部分を再定義しないと、始まらないようなきがします。
その中身によって、相入れない相撲観を持ってる人は相撲から離れちゃうでしょうけど、それはもうしょうがないですよね。
土俵の裏側が明かされちゃった以上、いままでどおり全国民的なもの、というわけにはいかないような気がします。
これまでと同様の全国民的なものとしての相撲を維持するのなら、これまで以上に裏の部分を隠して、私生活をまったく感じない、見えないところでなにやってるのか伝わらないようなものにするしかないんでしょうか。
まあとにかく、相撲がぶち当たっている課題は政治の問題にも似てるような気がします。
具体案は急がないといけないけど、そもそも相撲ってなんなのか、反発されることも仕方ないと諦めて、
そこを再定義することが第一のように思います。
まあ、僕は普段相撲見ないのでたいしたこといえませんが…
今は注目されすぎて、普段相撲に興味なかった人達が物言う野次馬として集まってきてるから、ややこしいんでしょうね…

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